トップページ > フンメル(HUMMEL, Johann Nepomuk)
「古典派」とは、バロック様式の後をうけて西ヨーロッパを中心に各地に展開した新しい様式です。器楽音楽の抽象性・絶対性が重視され、バロック時代に器楽よりも優位にあった声楽は器楽にその地位を譲るようになります。18世紀前半から次第に音楽の中心は宮廷や貴族の邸宅から公開演奏会へ移って行きました。この時代「ソナタ形式」が確立し、ピアノをはじめ、ヴァイオリン、チェロの他、オーケストラのためのソナタ、すなわち交響曲や協奏曲などソナタが数多く作られました。この時代の代表的な作曲家としては、主にウィーンで活躍した「ウィーン古典派」のハイドン・モーツァルト・ベートーヴェンがあげられるでしょう。
(参考書籍:大人の音楽史入門、よくわかる!西洋音楽史)
フンメルは指揮者だった父から音楽の手ほどきを受け、幼少から天分を発揮し、モーツァルトに認められてウィーンのモーツァルトの家で2年間ピアノを学んだ。
1787年にモーツァルトの指揮によってピアニストとしてデビューし、その後、父と一緒に、天才ピアニストとしてドイツ、オランダ、イギリスを4年間、演奏旅行して歩いた。
そのとき、イギリスではクレメンティに師事し、93年にウィーンに戻ったフンメルは、更に、ハイドンとサリエリらに作曲を師事している。
1804~11年はハンガリーの貴族エステルハージィ家の楽師長(1766年から30年間はハイドンがこの職にあった)の職につき、11年からはウィーンに住居を定め、ピアニスト/教師として活躍し、16年からシュトゥットガルトの宮廷楽師長、19年からはヴァイマールの宮廷楽師長に就任した。
その間、フンメルは時折、ヨーロッパを演奏旅行したが、彼は37年に没するまでヴァイマールの宮廷楽師長の職にあった。
フンメルはピアノ曲で知られており、それらは「ソナタ」「ロンド」「メヌエットとトリオ」「バガテル」と6曲の「ピアノ協奏曲」などだが、その他にもオペラ、ミサ、マンダリン協奏曲、室内楽を書いている。
彼の作風は優雅で明確な構成で、古典期の作曲家でありながら、作品にはバロック風のポリフォニーによる多声部音楽的要素も強い。
(出典:ピアノレパートリーガイド)