トップページ > パッヘルベル(PACHELBEL, Johann)
「バロック」様式の時代、音楽家という職業は職人性を強め、宮廷音楽家、教会音楽家、都市音楽家としてそれぞれの立場に応じた活動を行っていました。なかでも、宮廷はこの時代の最も重要な音楽の担い手でした。世は絶対主義王政の時代で、音楽家もまた彼らの庇護を求めることとなりました。通奏低音というシンプルな楽器伴奏を伴う技法やオペラの前身が生まれ、「新しい音楽」として創作されました。また、ヴァイオリンやトランペットなどの器楽の演奏技術が向上したことで、作曲家は特定の楽器を想定して曲を書くようになりました。バロック時代は量的にも質的にも声楽と器楽がかなり同等な重要性をもつようになりました。
(参考書籍:大人の音楽史入門、よくわかる!西洋音楽史)
ヨハン・パッヘルベルはブクステフーデ(1637~1707)と並び、J.S.(ヨハン・セバスチャン)バッハ以前のドイツを代表するオルガン奏者/作曲家の1人である。
生地のニュルンベルク、アルトドルフ、レーゲンスブルクで音楽の教育を受け、1673年からウィーンのシュテファン大聖堂の次席オルガン奏者の職につき、77年にJ.S.バッハの生地アイゼナッハの宮廷オルガン奏者となり、そこでJ.S.バッハの父と知り合った。
そしてJ.S.バッハの父の没後は、J.S.バッハの長兄であり、J.S.バッハを引きとったヨハン・クリストフ・バッハの指導をした。
その後、78年からドイツの南・中部の教会や宮廷オルガン奏者を務め、95年から故郷ニュルンベルクに戻り、聖ゼバルドゥス教会のオルガン奏者の地位につき、生涯をそこで過ごした。
パッヘルベルはオルガンの巨匠で、彼の鍵盤楽器曲にはイタリアのフレスコバルディ(作曲家/オルガン奏者)やドイツのフローベルガー(作曲家/オルガン奏者)の影響が見られる。
また鍵盤楽器曲の他にも多数のカンタータや組曲を残している。
(出典:ピアノレパートリーガイド)