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トップページ > ヘンデル(HANDEL, Georg Friedrich)
「バロック」様式の時代、音楽家という職業は職人性を強め、宮廷音楽家、教会音楽家、都市音楽家としてそれぞれの立場に応じた活動を行っていました。なかでも、宮廷はこの時代の最も重要な音楽の担い手でした。世は絶対主義王政の時代で、音楽家もまた彼らの庇護を求めることとなりました。通奏低音というシンプルな楽器伴奏を伴う技法やオペラの前身が生まれ、「新しい音楽」として創作されました。また、ヴァイオリンやトランペットなどの器楽の演奏技術が向上したことで、作曲家は特定の楽器を想定して曲を書くようになりました。バロック時代は量的にも質的にも声楽と器楽がかなり同等な重要性をもつようになりました。
(参考書籍:大人の音楽史入門、よくわかる!西洋音楽史)
ヘンデルはザクセン領ヴァイセンフェルス宮廷医師の家に生まれた。
小さい頃から宮廷や教会で音楽を聴くチャンスに恵まれたヘンデルは、ハレの聖母マリア教会のオルガン奏者ツァッハウについて作曲とオルガンを学び、1702年にハレ大学法律科に入学したが、音楽も続けるためにハレ大聖堂でオルガン奏者を務めた。
しかし03年にはオペラ作曲家をめざしてドイツ・バロックのオペラが隆盛を極めていたハンブルクに移り、ハンブルク・オペラ管弦楽団のヴァイオリン奏者の職につき、05年には初めてのオペラ「アルミーラ」を上演した。
06~10年はイタリアを訪れ、ローマではコレリやアレッサンドロ・スカルラッティ(D.スカルラッティの父でイタリア・オペラの作曲家)に出会って大きな影響を受け、数多くの(オペラの基礎となる)カンタータの作曲にはげんだ。
07年に最初のイタリア・オペラ「ロドリゴ」がフィレンツェで初演され、大好評を博す。
ヘンデルは10年にドイツに戻りハノーヴァーの選帝侯の楽師長に就任したが、同年に休暇を取りロンドンを訪れてイタリア・オペラ「リナルド」を上演し、作曲家としての名声をゆるぎないものにした。
続いて12年に再びロンドンを訪れ、「忠実な羊飼い」を12年に、「テゼオ」を13年に初演するが、14年にイギリス王室ではアン王女が死去し、定めによってハノーヴァーの選帝侯がイギリス国王ジョージ一世に即位したため、ヘンデルは残る生涯をイギリスで過ごす決意をした。
ヘンデルの有名な管弦楽曲「水上の音楽」はジョージ一世がテムズ河で船遊びをしたときに演奏されたものである。
ヘンデルは47曲のオペラ、20余曲のイングリシュ(英語)・オラトリオ、管弦楽曲、協奏曲、室内楽曲、宗教曲、歌曲、鍵盤楽器曲などを残している。
彼の作風は同じポリフォニーでもJ.S.バッハの厳密な対位法に比べると、半音階的進行が少なく、より主旋律に重点を置いたホモフォニックな傾向にある。
つけ加えると、ヘンデル、D.スカルラッティ、J.S.バッハはみな同じ1685年生まれである。
(出典:ピアノレパートリーガイド)