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メンデルスゾーン(MENDELSSOHN, Felix)

生年月日:

1809/02/03

没年月日:

1847/11/04

享年(満年齢):

38歳

出身地:

ドイツ

性別:

星座:

みずがめ座

音楽様式:

ロマン派(19世紀~20世紀初頭)

「ロマン派」とは、「古典主義」への反動として形式にとらわれない様式です。個人の感情や考え、夢や憧れなどを自由に表現しようとした標題音楽が人気となり、多くの小品が作曲されました。一方で、標題も歌詞ももたず純粋な器楽曲として発想された作品こそが最高であるという「絶対音楽」を唱える人たちも現れました。また、革命と戦争の時代であった19世紀は、それぞれの国における固有の民族性に価値が見出されるようになり、作品に自分の生まれた地域に伝わる地方色を取り入れた、芸術性の高い作品を作る「国民主義」の流れも生まれました。この時代には多くの作曲家が現れましたが、器楽の優れた演奏家が現れ、高度な演奏技巧を披露するためのヴィルトゥオーソ的な楽曲も多数作られました。それに加え楽譜印刷も一般化されたことから、作曲家と演奏家の分業がすすみました。
(参考書籍:大人の音楽史入門、よくわかる!西洋音楽史、やさしく読める作曲家の物語)

メンデルスゾーン MENDELSSOHN, Felix 年表

メンデルスゾーン(MENDELSSOHN, Felix)の人物像

メンデルスゾーンはハンブルクの裕福な銀行家の家庭に生まれ、母からピアノの手ほどきを受け、幼い頃から広い分野にわたる高度な教育を受けた。

先祖はユダヤ系であったが父の代に一家はプロテスタントに改宗する。

1811年にハンブルクがフランス軍に侵略されると一家はベルリンに移住し、メンデルスゾーンはベルリンでピアノをL.ベルガーに、作曲をツェルターに師事し、21年からはピアニストとして演奏する機会に恵まれるようになった。

同年、12歳のメンデルスゾーンはヴァイマールにゲーテを訪ね、バッハとモーツァルトの作品を演奏し、ゲーテに気に入られ、以来、年老いた詩人ゲーテと若いメンデルスゾーンの間には特別な友情が育つ。

その頃から、裕福なメンデルスゾーン家では毎日曜日に大きな演奏会が開かれるようになり、哲学者ヘーゲル、ピアニストのモシュレス他、大勢の著名人が集まり、メンデルスゾーンの作品もそこで演奏されるようになった。

29年にはベルリンでバッハの没後初めての「マタイ受難曲」をメンデルスゾーンは自らの指揮で演奏し、ヨーロッパの音楽界にバッハ復活のきっかけを作った。

その年の5月にはモシェレスの勧めでロンドンを訪れ、自作の「交響曲 第1番」を指揮して大好評を得た。

その後、32年にかけてメンデルスゾーンはイギリス、スコットランド、ドイツ各地、オーストリア、イタリア、フランスで活躍し、リスト、ベルリオーズ、J.フィールドらと知己になる。

35年からはライプチッヒを拠点として作曲家、指揮者、教育家として活躍し、43年にはライプチッヒ音楽学校を設立した。

作品はあらゆる分野にわたっており、中でも有名なのは17歳で作曲した序曲「真夏の夜の夢」(26年)、「イタリア交響曲」(33年)、「ヴァイオリン協奏曲」(44年)、2曲の「ピアノ協奏曲」(31年、37年)、オラトリオ「エライジャ」(46年)などである。

作風は情緒豊かな旋律が、古典派的な形式と多声部音楽をまじえた伴奏の上に美しく響くのが特徴である。

ピアノの生徒にとって性格作品「無言歌集」は貴重な教材であろう。

(出典:ピアノレパートリーガイド

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