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「ロマン派」とは、「古典主義」への反動として形式にとらわれない様式です。個人の感情や考え、夢や憧れなどを自由に表現しようとした標題音楽が人気となり、多くの小品が作曲されました。一方で、標題も歌詞ももたず純粋な器楽曲として発想された作品こそが最高であるという「絶対音楽」を唱える人たちも現れました。また、革命と戦争の時代であった19世紀は、それぞれの国における固有の民族性に価値が見出されるようになり、作品に自分の生まれた地域に伝わる地方色を取り入れた、芸術性の高い作品を作る「国民主義」の流れも生まれました。この時代には多くの作曲家が現れましたが、器楽の優れた演奏家が現れ、高度な演奏技巧を披露するためのヴィルトゥオーソ的な楽曲も多数作られました。それに加え楽譜印刷も一般化されたことから、作曲家と演奏家の分業がすすみました。
(参考書籍:大人の音楽史入門、よくわかる!西洋音楽史、やさしく読める作曲家の物語)
ショーソンは19世紀後半にドビュッシーやラヴェルの印象主義の前提となる独自のフランス的音楽を完成した作曲家である。
ショーソンは、はじめ法律を学んで弁護士になったが、後に音楽の道を選び、1880年にパリ音楽院に入学し、最初にマスネ、続いてセザール・フランクに師事した。
その後、ショーソンは1871年に組織されたフランクが会長を務めるフランスの"国民音楽協会"で10年間、その書記をするなど実務にたずさわり、フランスの音楽の振興に努めた。
ショーソンは器楽曲、オペラ、声楽曲、ピアノ曲、宗教曲の作品を残しているが、そのうち最も有名なのは1896年作曲のヴァイオリンとオーケストラのための「詩曲(ポエム) Op.25」である。
ショーソンの音楽はバランスがよく、落ち着いており、フランクやワーグナーの強い影響を受けたといわれるが、繊細でフランス的な旋律やハーモニーは独自の詩情に満ちた境地を造っている。
ピアノ曲は数少なく、「5つの幻想曲 Op.1]、「いくつかの舞曲 Op.26」(96年)、「風景 Op.38](95年)がある。
ショーソンは自転車で散策中、事故に遭い他界した。
(出典:ピアノレパートリーガイド)