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「ロマン派」とは、「古典主義」への反動として形式にとらわれない様式です。個人の感情や考え、夢や憧れなどを自由に表現しようとした標題音楽が人気となり、多くの小品が作曲されました。一方で、標題も歌詞ももたず純粋な器楽曲として発想された作品こそが最高であるという「絶対音楽」を唱える人たちも現れました。また、革命と戦争の時代であった19世紀は、それぞれの国における固有の民族性に価値が見出されるようになり、作品に自分の生まれた地域に伝わる地方色を取り入れた、芸術性の高い作品を作る「国民主義」の流れも生まれました。この時代には多くの作曲家が現れましたが、器楽の優れた演奏家が現れ、高度な演奏技巧を披露するためのヴィルトゥオーソ的な楽曲も多数作られました。それに加え楽譜印刷も一般化されたことから、作曲家と演奏家の分業がすすみました。
(参考書籍:大人の音楽史入門、よくわかる!西洋音楽史、やさしく読める作曲家の物語)
グラナドスはアルベニスと並ぶ近代スペインの代表的作曲家/ピアニストである。
グラナドスは幼少から楽才を発揮し、バルセロナでスペイン民族音楽の先駆者ペドレルから作曲を学んだ。
1877年には10歳でパリにいき、C.W.ベリオにピアノを師事し、89年に帰国するとピアニストとしての地位を築き、演奏活動にはげんだ。
またグラナドスはJ.ティボー、カザルス、サン=サーンスらと室内楽のコンサートをしばしばおこなった。
98年に最初のオペラ「カルメン派のマリア」が初演され、1912年に画家ゴヤを題材にしたピアノ組曲「ゴイェスカス」を発表し、これが14年にパリで大成功を収め、オペラ座から「ゴイェスカス」のオペラ化を依頼されたが、第1次世界大戦に妨げられ実現しなかった。
その後、オペラ「ゴイェスカス」は16年にニューヨークのメトロポリタン歌劇場で初演されたが、グラナドスはその帰途、乗船していた"サセックス号"がドイツの潜水艦に撃沈されて夫人とともにその犠牲となった。
多くのピアノ曲のうち、2集から成る組曲「ゴイェスカス」と、組曲「スペイン舞曲」はグラナドスの代表作であり、スペインの民族音楽を反映した情緒的で美しい作品になっている。
(出典:ピアノレパートリーガイド)