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ドビュッシー(DEBUSSY, Achille-Claude)

生年月日:

1862/08/22

没年月日:

1918/03/25

享年(満年齢):

55歳

出身地:

フランス

性別:

星座:

しし座

音楽様式:

近・現代(19世紀終わり頃~20世紀)

「近・現代」様式では、作曲家たちはさらに自由で実験的な作品を発表するようになりました。20世紀を迎え、社会情勢の変化や科学技術の発達に伴い、これまでになかった響きや斬新な表現を求められたのです。これまでの「ロマン主義」の直接的で力強い表出性を持つ表現に対し、ドビュッシーらによる「印象主義」の作曲家は、ほのめかすような控えめな表現を特徴とし、光や風などのイメージの世界を表現しようとしました。一方でドイツ、オーストリアでは特殊な楽器奏法を用いた作品を書き、人間の内的な体験を表出しようとする「表現主義」と呼ばれる動きが起こりました。またこれらの傾向への反発や、急激な調性の崩壊に対する危機意識から「バッハに帰れ」を合言葉に、意識的にバロック時代の組曲などの形式を使用して古典的な形をとる「新古典主義」の音楽が作られるなど、20世紀の芸術音楽はそれまでにない多様性を生み出すことになりました。
(参考書籍:大人の音楽史入門、よくわかる!西洋音楽史)

ドビュッシー DEBUSSY, Achille-Claude 年表

ドビュッシー(DEBUSSY, Achille-Claude)の人物像

ドビュッシーは貧しい家に生まれたが、早くから音楽の天分を示し、1873年に10歳でパリ音楽院に入学し、ソルフェージュ(76年)、ピアノ(77年)、作曲(82年)を優秀な成績でパスし、84年にはカンタータ「道楽むすこ」でローマ大賞を受賞した。

しかし、ローマ大賞受賞者の義務である3年間のヴィラ・メディチでの研鑽に堪えきれず2年でパリに逃げ帰った。

80、81、82年の夏はチャイコフスキーの後援者で有名なフォン・メック夫人とその家族のピアノの相手をしながら彼女のヨーロッパとロシアの別荘を旅して歩き、ボロディンやムソルグスキーの自由な音楽の影響を受けた。

そして、その後、彼はリストやワーグナーによって示された半音階法や、"トリスタン和音"などによる無調的手法を一気に前進させたのである。

つまり、ドビュッシーは5度、オクターヴ、7の和音の平行進行や、9、11、13度を含む和音、教会旋法、異国旋法、5音音階、全音音階などを好んで使い、それまでの古典派によって確立された長調、短調の観念を崩壊させたのである。

同時に、感情過多なロマン派の音楽を好まなかったドビュッシーは、モネ、マネら印象派の画家たちや、ボードレールやヴェルレーヌら象徴派の詩人に共鳴し、事物の幻想的なイメージを音で捉えることに務め、その結果、"印象派の音楽"が生まれたのである。

形式も在来の形式にこだわらず、多くのセクションから成る独自の形式で、ジャズのリズムを取り入れるなどして、前代未聞の音楽を書いた。

ピアノ曲の「2つのアラベスク」(88年)は初期の模索期の域を脱していないが、マラルメの詩のイメージによる管弦楽曲「牧神の午後への前奏曲」(94年)で印象派の音楽を決定的なものにした。

ドビュッシーが好んで使った素材は、彼のフランス人としてのエッセンスと、海、水、月、風、霧など雰囲気的なものと、ピアノ曲「前奏曲 第2集"ヴィーノの門"」(13年)などに見られるスペインの要素である。

作品の種類は交響曲と宗教曲を除くあらゆるジャンルにわたっている。

(出典:ピアノレパートリーガイド

ドビュッシー(DEBUSSY, Achille-Claude)の代表曲の楽譜を検索

  • 交響詩『海』
  • 管弦楽のための『映像』
  • 交響的断章『聖セバスティアンの殉教』
  • 交響組曲『春』
  • 牧神の午後への前奏曲
  • 夜想曲
  • バレ工『おもちゃ箱』
  • バレ工『遊戯』
  • ピアノと管弦楽のための幻想曲
  • クラリネットと管弦楽のための狂詩曲第1番
  • サクソフォーンと管弦楽のための狂詩曲第1番
  • 神聖な舞曲と世俗的な舞曲
  • 弦楽四重奏曲 卜短調
  • ピアノ三重奏曲 ト長調
  • フルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタ
  • ヴァイオリン・ソナタ
  • チェロ・ソナタ・ニ短調
  • 2つのアラベスク

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