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スメタナ(SMETANA, Bedrich)

生年月日:

1824/03/02

没年月日:

1884/05/12

享年(満年齢):

60歳

出身地:

チェコ

性別:

星座:

うお座

音楽様式:

ロマン派(19世紀~20世紀初頭)

「ロマン派」とは、「古典主義」への反動として形式にとらわれない様式です。個人の感情や考え、夢や憧れなどを自由に表現しようとした標題音楽が人気となり、多くの小品が作曲されました。一方で、標題も歌詞ももたず純粋な器楽曲として発想された作品こそが最高であるという「絶対音楽」を唱える人たちも現れました。また、革命と戦争の時代であった19世紀は、それぞれの国における固有の民族性に価値が見出されるようになり、作品に自分の生まれた地域に伝わる地方色を取り入れた、芸術性の高い作品を作る「国民主義」の流れも生まれました。この時代には多くの作曲家が現れましたが、器楽の優れた演奏家が現れ、高度な演奏技巧を披露するためのヴィルトゥオーソ的な楽曲も多数作られました。それに加え楽譜印刷も一般化されたことから、作曲家と演奏家の分業がすすみました。
(参考書籍:大人の音楽史入門、よくわかる!西洋音楽史、やさしく読める作曲家の物語)

スメタナ SMETANA, Bedrich 年表

スメタナ(SMETANA, Bedrich)の人物像

チェコ国民楽派の父といわれるスメタナは、音楽好きなビール醸造人の家に生まれ、1843年にプラハに出て作曲とピアノを学んだ。

48年にリストにすすめられてプラハに音楽学校を設立し、56年までその経営者とピアニストとして活躍した。

当時、チェコはオーストリア(ハプスブルグ家)の支配下にあり、チェコ人としての民族意識が高かったスメタナはチェコ民族の自由と権利を要求する革命運動が起きたとき、それに賛同する曲を書いた。

しかし56~61年はスウェーデンに移住し、イェーテボリ音楽協会の指揮者を務める。

59年にオーストリアがイタリアに敗北し、その勢力が弱まると彼は帰国し、62年にチェコ人民のためのチェコ仮劇場(68年に国民劇場となる)が設立された年に、初の民族オペラ「チェコにおけるブランデンブルグの人々」を作曲、66年に「売られた花嫁」を作曲して大成功を収め、チェコの民族運動を活発化させた。

66~74年はチェコ仮劇場管弦楽団の指揮者に就任し、74年に耳の障害で辞任してから、79年にはチェコに熱い想いを寄せた交響詩「わが祖国」を書く。

その第2曲目の郷土を流れる"モルダウ河"の繰り返される主題は有名である。

ピアノ曲にはリストやショパンの影響が見られる「演奏会用練習曲」(59年)、「海辺にて」(61年)や、ボヘミアの様子を描いた「3つの詩的ポルカ Op.8」(55年)などがある。

(出典:ピアノレパートリーガイド

スメタナ(SMETANA, Bedrich)の代表曲の楽譜を検索

  • 連作交響詩『わが祖国』
  •  第1曲『ヴィシェフラド』
  •  第2曲『モルダウ』
  •  第3曲『シャールカ』
  •  第4曲『ボヘミアの森と草原より』
  •  第5曲『タボール』
  •  第6曲『ブラニーク』
  • 弦楽四重奏曲第1番 ホ短調『わが生涯より』
  • 弦楽四重奏曲第2番 ニ短調
  • ピアノとヴァイオリンのための『わが故郷より』第1番、第2番
  • オペラ『売られた花嫁』
  • オペラ『ダリボール』
  • オペラ『リブシェ』

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