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バルトーク(BARTOK, Bela)

生年月日:

1881/03/25

没年月日:

1945/09/26

享年(満年齢):

64歳

出身地:

ハンガリー

性別:

星座:

おひつじ座

音楽様式:

近・現代(19世紀終わり頃~20世紀)

「近・現代」様式では、作曲家たちはさらに自由で実験的な作品を発表するようになりました。20世紀を迎え、社会情勢の変化や科学技術の発達に伴い、これまでになかった響きや斬新な表現を求められたのです。これまでの「ロマン主義」の直接的で力強い表出性を持つ表現に対し、ドビュッシーらによる「印象主義」の作曲家は、ほのめかすような控えめな表現を特徴とし、光や風などのイメージの世界を表現しようとしました。一方でドイツ、オーストリアでは特殊な楽器奏法を用いた作品を書き、人間の内的な体験を表出しようとする「表現主義」と呼ばれる動きが起こりました。またこれらの傾向への反発や、急激な調性の崩壊に対する危機意識から「バッハに帰れ」を合言葉に、意識的にバロック時代の組曲などの形式を使用して古典的な形をとる「新古典主義」の音楽が作られるなど、20世紀の芸術音楽はそれまでにない多様性を生み出すことになりました。
(参考書籍:大人の音楽史入門、よくわかる!西洋音楽史)

バルトーク BARTOK, Bela 年表

バルトーク(BARTOK, Bela)の人物像

バルトークはオーストリア支配下のハンガリーのナジュセントミクローシュに生まれ、母からピアノの手ほどきを受けた。

後に家族はポジォーニに良い音楽教師をみつけて引っ越したが、バルトークはその地でピアニスト/作曲家のドホナーニに出会い、彼のすすめで1899年にブタペスト音楽院に入学してピアノと作曲を学んだ。

そしてバルトークはリスト、ワーグナー、ドビュッシーらによって無調に向かっていたヨーロッパの新しい音楽傾向に刺激を受け、1902年にR.シュトラウスの音楽を聴いたとき作曲家になる決意をした。

バルトークは20世紀こそ新しい音楽への分岐点であると言い、彼は素朴な旋律と表情がある民謡を課題にとりあげ、民族音楽学の方向に進んだ。

また当時はオーストリアからの解放を願う民族運動がくすぶっており、彼は03年に交響詩「コシュート」(ハンガリーの独立運動を起こした英雄)を書き作曲家としての名声を確立した。

05年からはハンガリーを中心に広い外国におよぶ地域―ハンガリー、ルーマニア、トランシルヴァニア、セルボ・クロアチア―の民謡を収集して音階、旋法、リズムの研究をし、それを編集した。

バルトークは管弦楽曲、ピアノ曲、歌曲などに多くの作品を残しているが、最も有名なのは43年作の「管弦楽のための協奏曲」と、6曲から成る「弦楽四重奏曲」である。

作風は異国旋法、原始主義、民族主義、新古典主義を豊かな情感でまとめ、不協和音の中にマジャール(ハンガリー)民族の民謡とリズムが感じとれる革新的な音楽になっている。

ピアノ曲で有名なのは「ソナタ」、6巻からなる「ミクロコスモス」、4巻の貴重な民族音楽でできている「子供のために」である。

27~28年はアメリカ各地をピアニストとして演奏旅行したが、40年には第2次世界大戦下、ファシズムに侵された母国に見切りをつけ、アメリカに亡命し、ニューヨークのコロンビア大学で教鞭をとり、45年に白血病で他界した。

(出典:ピアノレパートリーガイド

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