株式会社ヤマハミュージックメディアトップ


トップ > 作曲家 > クロード・アシル・ドビュッシー

クロード・アシル・ドビュッシー
Claude Achille Debussy

クロード・アシル・ドビュッシー

1862~1918 フランス人 近代 作曲家

ドビュッシーは貧しい家に生まれたが、早くから音楽の天分を示し、1873年に10歳でパリ音楽院に入学し、ソルフェージュ(76年)、ピアノ(77年)、作曲(82年)を優秀な成績でパスし、84年にはカンタータ「道楽むすこ」でローマ大賞を受賞した。しかし、ローマ大賞受賞者の義務である3年間のヴィラ・メディチでの研鑽に堪えきれず2年でパリに逃げ帰った。80、81、82年の夏はチャイコフスキーの後援者で有名なフォン・メック夫人とその家族のピアノの相手をしながら彼女のヨーロッパとロシアの別荘を旅して歩き、ボロディンやムソルグスキーの自由な音楽の影響を受けた。そして、その後、彼はリストワーグナーによって示された半音階法や、"トリスタン和音"などによる無調的手法を一気に前進させたのである。つまり、ドビュッシーは5度、オクターヴ、7の和音の平行進行や、9、11、13度を含む和音、教会旋法、異国旋法、5音音階、全音音階などを好んで使い、それまでの古典派によって確立された長調、短調の観念を崩壊させたのである。同時に、感情過多なロマン派の音楽を好まなかったドビュッシーは、モネ、マネら印象派の画家たちや、ボードレールやヴェルレーヌら象徴派の詩人に共鳴し、事物の幻想的なイメージを音で捉えることに務め、その結果、"印象派の音楽"が生まれたのである。形式も在来の形式にこだわらず、多くのセクションから成る独自の形式で、ジャズのリズムを取り入れるなどして、前代未聞の音楽を書いた。ピアノ曲の「2つのアラベスク」(88年)は初期の模索期の域を脱していないが、マラルメの詩のイメージによる管弦楽曲「牧神の午後への前奏曲」(94年)で印象派の音楽を決定的なものにした。ドビュッシーが好んで使った素材は、彼のフランス人としてのエッセンスと、海、水、月、風、霧など雰囲気的なものと、ピアノ曲「前奏曲 第2集"ヴィーノの門"」(13年)などに見られるスペインの要素である。作品の種類は交響曲と宗教曲を除くあらゆるジャンルにわたっている。


全14件

# 曲名 レベル 試聴
1 ボヘミア舞曲 中級2
再生
volume
2 マズルカ 中級2
再生
volume
3 夢想 中級2
再生
volume
4 スティリー風タランテラ(舞曲) 上級1
再生
volume
5 バラード(スラブ風バラード) 上級1
再生
volume
6 ロマンティックなワルツ 中級2
再生
volume
7 ベルガマスク組曲 [4] 上級2
再生
volume
8 2つのアラベスク [2] 中級2
再生
volume
9 ノクターン 上級1
再生
volume
10 子どもの領分 [6] 上級2
再生
volume
11 レントよりもおそく(ワルツ) 中級2
再生
volume
12 英雄の子守歌 上級2
再生
volume
13 亜麻色の髪の乙女(プレリュード集 第1集より ) 中級2
再生
volume
14 小さな黒人 中級1
再生
volume

全14件

ページの先頭に戻る

このサイトについての情報