2013年のローリング・ストーン誌のインタビューで、
70歳になったら、ツアーに充てる日々を減らし始めるかもという未来予想を、エリックは披露した。スタジオでの日々や、ライヴでプレイし続けることを考えたとき、大陸をまたにかけた大きなツアーというのは、魅力的ではなくなってきていたのかも知れない。とはいえ、観客の前で自分の音楽をライヴ演奏するよりエキサイティングなことはない。だが、移動の明けくれ -
飛行機と列車と- の代償は小さくなかった。
2014年の2月に日本へ出発するときのエリックの心情は複雑だった。1974年の初来日、そしてその後の年月で、
日本はエリックにとって
特別な場所になっていった。印象的な芸術と豊かな文化を持つ国、
日本が第二の故郷になったのだ。一緒に働くアーティストやデザイナーたちは、大切な友人になった。音楽業界のプロたちとは、大きな家族になった。そして、
目の肥えたファンたちは、常にどの会場をも満員にしてくれた。
『プレーンズ・トレイズ・アンド・エリック』の監督であるデヴィッド・マクスウェルは、この作品について次のように話している。「エリックは、
日本に特別な想いがある。日本ではいつもくつろげるんだ。長い付き合いでもあるし、とても親切なところだと感じている。僕らは、彼にとって本当に意義深い場所での演奏となる今回のショウを、きちんと捉えたかったんだ」。
日本へ行く準備をしているとき、エリックは古い友人たちに再会できることにわくわくしていた。精神的で創造的な文化に浸ることを楽しみにしていたのだ。4つの都市において7つのショウをプレイすることを決めたとき、エリックは、日本に長居すること、そしてその経験を満喫しようと決心した。しかし、その根っこにはいつも1つの疑問があった ? このツアーが
最後の日本公演になるのか?ということだ。
お気に入りの国々のひとつへの、エリックの最後のツアーになるかもしれないという可能性を抜きにしても、今回の日本での日々は
歴史的なものになった。東京の日本武道館での2月18日のコンサートは、
日本での200回目のステージになった。また、このツアーにおいて、エリックは、武道館だけで86回目のコンサートを記録した - この歴史的な場所で、エリック以上に演奏している海外アーティストは存在しない。
エリックは
日本に忠実な気持ちを持っている、というのは言ってみれば、明らかに控え目な表現だ。それは、このつながりの深みを損なっている。それは、40年に渡る時間の中で育まれた絆の私的な本質をとらえていない。エリックと、
ウドー音楽事務所の有働氏との関係を考えてみよう。まず、有働氏はエリックの日本におけるコンサート・プロモーター、ということがある。しかし、有働氏は、エリックとってそれ以上の存在、エリックの活動の歴史の基盤であり、いつも、“暗闇の日々”のときでさえ、
エリックに寄りそう父親のような存在だと言えるのだ。
結論から言ってしまえば、日本人は元々、エリックと彼の第2の故郷である日本との深い関係を表すさらに良い言葉を持っている。それは、価値観や、人生のあり方、従うべき指針を表す言葉…
武士道
影響力が大きく、価値のある意味を持つ言葉であり、緩やかに訳せば、名誉を重んじる生き方、騎士道、そしていい時も悪い時も常に友と一緒にあることを促す言葉である。有働氏は、こう説明する。「武士道とは、思いやること、思いやりの心」と。
明らかに日本はエリックを大切に思っている。そして、エリックも確かに日本を大事にしている。それは、東京での最後のステージで歌った『いとしのレイラ』の歌詞の間に、彼が語った言葉によって明らかにされている。
「初めてここにきてから40年になる。この中には生まれていない人もいるよね。ここは僕がプレイした中でも最高の場所。世界のベストだ。すべてに感謝している。ありがとう。」
このツアーが、アジア地域への最後のツアーになるかもしれないということを思い、エリックは、彼と一緒にステージに上がる最高の友人たちと素晴らしいミュージシャンによるバンドを編成した。ドラムの
スティーヴ・ガッド。ベースの
ネイザン・イースト。ハモンド・オルガンの
ポール・キャラック。キーボードの
クリス・ステイントン。ボーカルに
ミシェル・ジョンと
シャロン・ホワイト。これらの優れたミュージシャンが醸し出すケミストリーは、東京、横浜、名古屋、大阪で、彼らが演奏する素晴らしいセットリストに次ぐセットリストによって、はっきりと表れていた。
作品を観ながら確かめてみよう。
『クロスロード』と
『いとしのレイラ』でのクリスとポールのソロのやり取りで、2人の間で交わされたのは、たった1回のうなずきだ。ミシェルとシャロンのボーカルは、
『プリテンディング』と
『アイ・ショット・ザ・シェリフ』でのコーラスにのるエリックのリードを美しくサポートしている。
『キー・トゥ・ザ・ハイウェイ』では、ネイザンとスティーヴがドライヴするビートを巧みにキープする。そして、エリックは、軽く振りかえってわずかにうなずくだけで、
『ビフォー・ユー・アキューズ・ミー』でのクリスのキーボードによるリードにきっかけを出す。
そして、曲が演奏されていくのに合わせ、- アコースティックでもエレキでも ? エリックが、ギターで自身の天賦の才を見せる。
デヴィッド・マクスウェルは言う。「
充実したセットリスト、それをプレイする
素晴らしいバンド、そしてエリックの人生の鍵となるとき。彼の
愛する国のために、彼の愛する友人たちと、
素敵なバンドとともに、
最高の曲を演奏する ? それは、残すべき素晴らしいものだ。それが本当のゴールなんだ。僕らは、このフィルムでエリックの人生のストーリーを語ることを目的にしたわけではない。彼のキャリアにおける一部分を、このツアーでの彼の演奏によって形に残したかっただけだ。それ以外に僕らが目指したのは、エリックが彼の奥さんや子供たちと一緒になって、家族として楽しんでいるところを映像にするということだ。もしそれがこの作品でちゃんとできているなら、 - 仕事をちゃんと全うしたということだ」。
日本でのこれらの素晴らしいパフォーマンスによってエネルギーを得て、エリックと彼のバンドはまた飛行機に乗り、シンガポールとドバイでのコンサートへと向かった。そのあとには、このツアーの締めくくりとなる、バーレーン皇太子サルマン王子のための砂漠での野外コンサートが控えていた。このツアーは、その始まりの心と同じ精神 ? 友情で幕を閉じた。1974年の日本にそのルーツを持つ友情。そして、もうひとつの、バーレーンにおいて芽生えたエリックとサルマン王子の友情は、次のマイルストーンへとつながった。これが本当に初となる、バーレーンの星空のもとでのライヴコンサートである。
これらの
最高のパフォーマンスを楽しんでほしい。1つの時代の終焉にまつわる疑問を抱えつつ、すべてがここに収められたことを頭におきながら。でも、もうひとつ一緒に知っておいてほしい。そんな疑問を抱えつつ行われたツアーの終わりは、新しい始まりの可能性でもあるということを。
長年育まれ開花した歴史ある友情。根づいたばかりの新しい友情。アジア地域への最後のツアーとなるのか?それとも砂漠での新しい第一歩となるのか。
そして、全体を貫いているのは
武士道の精神…と、
素晴らしいギターなのである。
Jeff Jass