株式会社ヤマハミュージックメディアトップ


トップ > 作曲家 > ベラ・バルトーク

ベラ・バルトーク
Bela Bartok

ベラ・バルトーク

1881~1945 ハンガリー人 アメリカに没す 近・現代 作曲家

バルトークはオーストリア支配下のハンガリーのナジュセントミクローシュに生まれ、母からピアノの手ほどきを受けた。後に家族はポジォーニに良い音楽教師をみつけて引っ越したが、バルトークはその地でピアニスト/作曲家のドホナーニに出会い、彼のすすめで1899年にブタペスト音楽院に入学してピアノと作曲を学んだ。そしてバルトークはリストワーグナードビュッシーらによって無調に向かっていたヨーロッパの新しい音楽傾向に刺激を受け、1902年にR.シュトラウスの音楽を聴いたとき作曲家になる決意をした。バルトークは20世紀こそ新しい音楽への分岐点であると言い、彼は素朴な旋律と表情がある民謡を課題にとりあげ、民族音楽学の方向に進んだ。また当時はオーストリアからの解放を願う民族運動がくすぶっており、彼は03年に交響詩「コシュート」(ハンガリーの独立運動を起こした英雄)を書き作曲家としての名声を確立した。05年からはハンガリーを中心に広い外国におよぶ地域―ハンガリー、ルーマニア、トランシルヴァニア、セルボ・クロアチア―の民謡を収集して音階、旋法、リズムの研究をし、それを編集した。バルトークは管弦楽曲、ピアノ曲、歌曲などに多くの作品を残しているが、最も有名なのは43年作の「管弦楽のための協奏曲」と、6曲から成る「弦楽四重奏曲」である。作風は異国旋法、原始主義、民族主義、新古典主義を豊かな情感でまとめ、不協和音の中にマジャール(ハンガリー)民族の民謡とリズムが感じとれる革新的な音楽になっている。ピアノ曲で有名なのは「ソナタ」、6巻からなる「ミクロコスモス」、4巻の貴重な民族音楽でできている「子供のために」である。27~28年はアメリカ各地をピアニストとして演奏旅行したが、40年には第2次世界大戦下、ファシズムに侵された母国に見切りをつけ、アメリカに亡命し、ニューヨークのコロンビア大学で教鞭をとり、45年に白血病で他界した。


全11件

# 曲名 レベル 試聴
1 10のやさしいピアノ小品 [11] 中級2
再生
volume
2 子どものために第1部 [21] 中級1
再生
volume
3 子どものために第2部 [19] 中級1
再生
volume
4 子どものために第3部 [22] 中級1
再生
volume
5 子どものために第4部 [16] 中級1
再生
volume
6 スケッチ集 Op.9b [7] 上級1
再生
volume
7 アレグロ・バルバロ 上級2
再生
volume
8 ソナチネ [3] 中級2
再生
volume
9 ルーマニア民族舞曲 [6] 中級2
再生
volume
10 15のハンガリー農民の歌 [15] 上級1
再生
volume
11 9つのピアノ小品 [9] 上級1
再生
volume

全11件

ページの先頭に戻る

このサイトについての情報