株式会社ヤマハミュージックメディアトップ


トップ > 作曲家 > アントン・ヴェーベルン

アントン・ヴェーベルン
Anton Webern

1883~1945 オーストリア人 現代 作曲家

ヴェーベルンはシェーンベルク、ベルクとともに12音技法を開発したオーストリアの現代作曲家である。鉱山技師の家に生まれたヴェーベルンは母親からピアノの手ほどきを受け、チェロや理論も個人教師について学んだ。彼は1902年にバイロイト音楽祭で聴いたワーグナーのオペラに深い感銘を受け、その秋、ウイーン大学に入学して、音楽理論と作曲を学び、06年にルネッサンス初期の作曲家ハインリッヒ・イザークの「コラリス・コンスタンティヌス 2」に関する論文で博士号を取得した。その間、04年からはシェーンベルクに師事し、同じ年に弟子入りしたベルクとともに、師弟3人で“ロマン後期の調性の究極時代”、“無調性時代”を経て、“12音技法完成”へ到達した。08年の管弦楽曲「パッサカリア Op.1」や、合唱曲カノン「軽い小舟で逃れよ Op.2」には、まだ調性が残っているが、08~09年作のS.ゲオルグの歌詞による歌曲「5つの歌 Op.3/4」から無調性に入っている。その後、ヴェーベルンは24年にピアノ曲「子供のための小品」を12音技法で書き、続いてクラリネット、バス・クラリネットとヴァイオリンの伴奏によるソプラノのための「3つの宗教的民謡 Op.17」から最後の「第2カンタータ Op.31」までを12音技法で書いた。その時期に、彼は緻密で凝縮された技法を模索しており、代表作である28年の「交響曲 Op.21」の音列は、12音の中央の3全音を中心に進行方向・逆行方向の音程が厳密に完全な同音程で左右対照に並べられているなど、より論理的で無駄のない構成になっている。ピアノ曲では36年作の「ピアノのための変奏曲 Op.27」がその種の代表作である。彼の人生の末期は悲劇の連続であり、ベルクの急死と、シェーンベルクがナチス・ドイツを避けてアメリカに亡命したため孤独になり、第2次世界大戦終了後、占領下のザルツブルク近郊で娘と過ごしていたが、ある夜、闇の中、タバコに火をつけようとしてアメリカ兵に誤射されて命を落とした。


全1件

# 曲名 レベル 試聴
1 子供のための小品 中級1
再生
volume

全1件

ページの先頭に戻る

このサイトについての情報