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リヒャルト・シュトラウス
Richard Strauss

リヒャルト・シュトラウス

1864~1949 ドイツ人 ロマン後期~近代 作曲家 指揮者

シュトラウスは19世紀末から20世紀前半にかけてのドイツ最大の作曲家である。ミュンヘン宮廷管弦楽団の第1ホルン奏者を父に生まれたリヒャルト・シュトラウスは、5歳から正式な音楽教育を受け、間もなく作曲も手がけるようになった。1881年には指揮者のビューローに認められ、84年に彼の率いるマイニゲン宮廷管弦楽団のために「13の吹奏楽器のための組曲 Op.4」を書き、自らの指揮で初演して高い評価を得た。85年にビューローがこの楽団を去るとシュトラウスがその後任となり、以後、各地の歌劇場や管弦楽団の指揮をしながら作曲活動を続けた。しかし、1933年にナチスがドイツの政権をとると、シュトラウスは政治問題に巻き込まれることになった。シュトラウスは33年に芸術保護のためのドイツ音楽局の総裁に迎えられたが、ユダヤ人の作曲家や作品の件で当局と衝突があった矢先、シュトラウス自身がユダヤ人の台本によるオペラ「無口の女 Op.80」(34年)を作曲したことでとがめられ、彼の評判作のオペラ「バラ騎士」(09年)以外の上演を1年間禁じられた。シュトラウスは仕方なくミュンヘン近郊の山荘にこもったが、36年以後は当局の要請や命令があるときは指揮に出かけたりした。40年には日本建国2600年を祝う管弦楽曲「大日本帝国紀元2600年祝典音楽 Op.84」を作曲しており、この曲は同年、東京の歌舞伎座で初演されている。山荘で終戦を知ったシュトラウスは47年にはロンドンに指揮の仕事ででかけ、その年末から健康を害し、次第に衰弱し、心臓疾患で49年に他界した。シュトラウスは広い分野に多くの作品を残しており、彼の音楽はオペラ、交響詩、歌曲が主流で、オペラ「サロメ」(05年)、「エレクトラ」(08年)はワーグナーの影響を受けているといわれるが、「バラ騎士」には古典派的な作曲技法がもり込まれており、保守的になっている。シュトラウスの音楽は機知に富んで明るく、官能的で、描写が衝動的であり、カレードスコープを覗いているように様々な音が宙を飛び交う。


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# 曲名 レベル 試聴
1 5つの情緒ある風景 Op.9 [5] 上級1
再生
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