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もっと知りたい!バルトークの魅力

みなさんにとって、バルトークはどんな作曲家でしょうか?
大好き?ちょっと難しそう?チャレンジしてみたいけれどどこから始めたらいいの?
もっとバルトークを知りたい方へ送る、「もっと知りたい!バルトークの魅力」。
ヘンレ社とムジカ・ブダペスト社共同で刊行されている『バルトーク全集』版「ミクロコスモス」の校訂をされた、ハンガリー「バルトーク・アーカイヴ注:1バルトーク・アーカイヴは、音楽学研究所の一部署であり、バルトーク関連の一次資料の収集保存やその一次資料に基づいた研究を行う研究機関である。このアーカイヴは一般に開かれた研究機関であり、研究目的であれば基本的には誰でも利用することができる。これまで、演奏家、音楽学者や作曲家など世界中の様々な音楽家がバルトークを研究するためにこのアーカイヴを訪れている。最も著名な演奏家の例では、ヴァイオリニストのイザベル・ファウストがヴァイオリン協奏曲の自筆譜を研究するために訪れたこともある。
」で研究をされている中原佑介さん 注:2中原佑介(なかはら・ゆうすけ 音楽学研究所バルトーク・アーカイヴ、リサーチ・フェロー)
2007年よりハンガリー国立リスト・フェレンツ音楽芸術大学で音楽学を学ぶ。2012年から2015年において、同大学博士課程をハンガリー政府奨学金給付生として修了。2021年に博士号(PhD)を最高位の評価(summa cum laude)で取得。2015年よりバルトーク・アーカイヴにて『バルトーク・ベーラ批判校訂全集』の編集作業に携わる。これまで、全集の第40-41巻にあたる「ミクロコスモス」の校訂を担当したほか、第30巻「弦楽四重奏曲集」の編集協力者として自筆譜の分析および翻写(diplomatic transcription)を担当。
に貴重なお話を伺いました!
あなたの知らないバルトークをみつけられたら、ピアノで弾いてみませんか?

バルトーク・ベーラ(写真左)注:3バルトーク・ベーラ(洪: BARTÓK Béla, 1881-1945)はハンガリーの作曲家・民俗音楽研究者・ピアニストで、今日では20世紀前半を代表する作曲家の1人として知られている。バルトークが作曲家として独自性を獲得するきっかけになったのは、その生涯において情熱を注いだ民俗音楽研究で、ハンガリー、ルーマニア、スロヴァキア、そしてアルジェリアと、民族や国境の壁を越えてさまざまな種類の民俗音楽を採集し研究した。バルトークはこれらの民俗音楽にみられる要素を抽出し、芸術音楽の伝統的な要素と組み合わせることで独自の音楽語法を編み出すことに成功した。こうした姿勢は同時代のハンガリーの作曲家と比べても独特で、彼のように多種多様な民俗音楽の影響を積極的に受け入れた作曲家というのは他に例がない。この独特さがよく表れているのは「ブルガリアのリズムによる6つの舞曲」であろう。バルトークはこの曲について「ハンガリーとブルガリアのハーフ」と語っていることからもわかるように、ハンガリー風の旋律要素とブルガリアの民俗音楽に見られる変拍子が組み合わされ、新しい音楽が生み出されている。
トルコでの民俗音楽採集旅行にて(1936年撮影、ハンガリー科学アカデミーバルトーク・アーカイヴ蔵)
とアメリカのピアノ教師、アン・シェネー(写真中)
(1944年 G.D.Hackett撮影 ハンガリー科学アカデミーバルトーク・アーカイヴ蔵)
もっと知りたい!バルトークの魅力

みなさんにとって、バルトークはどんな作曲家でしょうか?
大好き?ちょっと難しそう?チャレンジしてみたいけれどどこから始めたらいいの?
もっとバルトークを知りたい方へ送る、「もっと知りたい!バルトークの魅力」。
ヘンレ社とムジカ・ブダペスト社共同で刊行されている『バルトーク全集』版「ミクロコスモス」の校訂をされた、ハンガリー「バルトーク・アーカイヴ

注:1

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」で研究をされている中原佑介さん

注:2

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に貴重なお話を伺いました!
あなたの知らないバルトークをみつけられたら、ピアノで弾いてみませんか?

バルトーク・ベーラ(写真左)

注:3

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とアメリカのピアノ教師、アン・シェネー(写真中)
(1944年 G.D.Hackett撮影 ハンガリー科学アカデミーバルトーク・アーカイヴ蔵)

  • 【第1回】
  • 【第2回】
  • 【第3回】

【第1回】 
『バルトーク全集』に辿り着いた
楽譜の経緯

■待望の『バルトーク・ベーラ批判校訂全集』

注:4バルトーク・ベーラ批判校訂全集(洪: Bartók Béla zenemüveinek kritikai összkiadása)。学術的な文脈では、英語名称(Béla Bartók Complete Critical Edition)に基づくBBCCEという略称が用いられている。

20世紀前半を代表する作曲家であるバルトークは、独奏曲、室内楽曲、管弦楽曲そして舞台作品とさまざまなジャンルに名曲を残しています。バルトークの作品は生前から評価も高く、よく演奏される作曲家の1人であることから、全集の刊行が待たれていました。この全集の刊行によって、既に有名な作品の信頼できる楽譜が入手できるようになるほか、合唱曲集などハンガリー国外ではそれほど知られていない傑作を紹介できる機会になると思います。

■教育用作品の大家

作曲家バルトークの特徴として、技術的やさしさと高い芸術性を両立させた教育用作品を数多く書いていることがあげられます。誰もが初心者として音楽を習い始めるわけですから、このような教育用作品に対してはハンガリー国内のみならず世界的にも大きな需要があります。
ある意味では、『バルトーク全集』の実現を後押ししたのはこれらの教育的作品だと言えるかもしれません。これまで『バルトーク全集』は7巻が刊行されていますが、「子供のために」をはじめとして、ルーマニアの民俗音楽編曲作品、合唱曲集や「ミクロコスモス」など、教育用作品が高い比率を占めています。

■信頼できる新しい楽譜

『バルトーク全集』が計画された大きな理由の1つとして、作品の出版・流通に関する権利が複雑に絡み合っており、同じ作品でも異なる出版社から異なる版として出版され流通していたため、どの楽譜を使うべきか必ずしも明確ではなかったという事情があります。
版の問題に関しては、ウニヴァザール社、ブージー・アンド・ホークス社およびバルトーク・レコーズ社から出版されている、バルトークの2番目の息子のバルトーク・ペーテル注:5バルトーク・ペーテル(BARTÓK Péter; 後にアメリカで使用した名前表記はPeter Bartók)はバルトークと2番目の妻であるパーストリ・ディッタ(PÁSZTORY Ditta)との間に生まれたバルトークの2番目の息子である。
「ミクロコスモス」の最初の2巻はペーテルに献呈されているが、1932年に書き始められた「ミクロコスモス」の最初の数曲は中級程度の学習者を想定しており、ペーテルに演奏させるために作曲したという訳ではないだろう。しかし、同時期にペーテルのための音楽のレッスンを始めていることを考えると、「ミクロコスモス」はペーテルが成長した時に弾けるような音楽の贈り物を意図していたと考えることができるかもしれない。
(1932年撮影、ハンガリー科学アカデミー、バルトーク・アーカイヴ蔵)
による改訂版により、ある程度解消されていると言えます。ただし、これは必ずしも学術的な見地による改訂版とは言えないため、新しい版が必要とされていました。
このほか、初版が出版される際、記譜法が出版社のルールによって変更され、それが必ずしもバルトーク自身が意図していなかった形に変更されている場合もあります。また、自筆譜に誤りがある場合や、初版にミスプリントが紛れ込んでしまっている場合もあります。このような問題について、バルトーク全集ではあらゆる資料を綿密に検討することで、作曲家が意図していたであろう形に復元することを目指しています。

■演奏者のための『全集』

『バルトーク全集』には演奏家の方にとって役に立つさまざまな情報も収録されています。例えば、作品によっては、バルトークが改訂したテンポなどを演奏家に書き送っているものの、その改訂が楽譜に反映されていない場合もあります。こうした情報は音楽学の論文などで報告されていたりするものの、楽譜には示されていない以上、演奏家にはあまり知られていませんでした。オリジナルのテンポと改訂されたテンポ、どちらを選ぶかというのは難しい問題ですが、少なくとも演奏家にはこれらの情報を知った上で自分なりの決断を下す権利があるのではないでしょうか。また、異なるテンポを試すことで、演奏へのヒントを得られることもあるでしょう。
ほかにも、バルトークの楽譜を予備知識なしで見た方は、曲の最後に演奏時間注:6この演奏時間には、バルトーク自身が演奏プログラムを組み立てる際の目安とするためという実用的な側面もあったと考えられる。特に、バルトークはしばしばラジオ局のスタジオで演奏中継に出演していたのだが、この際には分単位で出来る限り正確に演奏時間を計画する必要があった。が記されていることに驚くだろうと思いますが、これについても解説が割かれています。簡単に説明しますと、バルトークはあくまで目安として時間を示しているだけで、この通りに弾かなければならないという訳ではないのです。この時間は実際にピアノで演奏したときの演奏時間、もしくは頭の中で想像した演奏時間に基づいていると考えられています。
ちなみに、バルトーク自身、常に同じ時間で演奏していたわけではないということは録音からもわかっています。それなのに秒単位できっちり書いているのは、あくまで目安であるとしても、四捨五入して丸めてしまうよりは計った時間そのままを採用した方がよいと考えていたからのようです。このあたりから、正確さにこだわるバルトークの学者としての人柄注:7バルトークは作曲家としては霊感に重きを置くタイプであり、緻密に計画しそれを厳密に守るというよりは、突如舞い降りる霊感を活かしつつ数々の名曲を書きあげた。その一方、民俗音楽の研究者としては正確さを重視し、民俗音楽の演奏をそのまま記録できる蝋管録音機を活用したほか、録音をもとに演奏のリズムや音程の微妙な変化を可能な限りそのまま書き記すことにこだわった。が見えてきますね。

■新しい出発点としての『全集』

『バルトーク全集』はこのような情報を出来る限り集約して、「ひとまずこれを押さえておけば大丈夫」というような版を作ることを目的としています。もちろん、これまでに書かれたあらゆる情報を1冊や2冊の本に集約することはできませんし、これから先に新しい資料が発見されたり既存の資料に対する新しい解釈が打ち立てられたりすれば全集の内容も古くなってしまうでしょう。その意味では全集というのは100年後、200年後においても通用するような決定版ではありえません。それでも現時点でわかっている事を土台とし、その先に進むためには全集はなくてはならない出発点になるでしょう。

【ちょっと一息コラム ~中原さんにもっと聞いてみました!~】

バルトーク・アーカイヴのある「王宮の丘」

バルトーク・アーカイヴは独立した研究機関というわけではなく、音楽学研究所の一部署として、「王宮の丘」に位置しています。ブダペストという都市は、中心に流れているドナウ川で東西に分割されており、西がブダ、東がペストになるのですが、「王宮の丘」はブダ側に位置しており、ドナウ川を挟んでペスト側の街並みを一望することができます。
この「王宮の丘」には「ブダ城」「漁夫の砦」「マーチャーシュ教会」などの歴史的な観光名所が数多くありますので、旅行の際にはぜひ立ち寄ってもらいたいと思います。このほか、音楽家の方にとって隠れたスポットと言えるのは音楽学研究所に併設されている「音楽史博物館」でしょう。ここではハンガリーの音楽文化にちなんだ特別展示が行われていますので、また別の回にご紹介できればと思います。

音楽学研究所

ペスト側の展望

■待望の『バルトーク・ベーラ批判校訂全集』

注:4

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20世紀前半を代表する作曲家であるバルトークは、独奏曲、室内楽曲、管弦楽曲そして舞台作品とさまざまなジャンルに名曲を残しています。バルトークの作品は生前から評価も高く、よく演奏される作曲家の1人であることから、全集の刊行が待たれていました。この全集の刊行によって、既に有名な作品の信頼できる楽譜が入手できるようになるほか、合唱曲集などハンガリー国外ではそれほど知られていない傑作を紹介できる機会になると思います。

■教育用作品の大家

作曲家バルトークの特徴として、技術的やさしさと高い芸術性を両立させた教育用作品を数多く書いていることがあげられます。誰もが初心者として音楽を習い始めるわけですから、このような教育用作品に対してはハンガリー国内のみならず世界的にも大きな需要があります。
ある意味では、『バルトーク全集』の実現を後押ししたのはこれらの教育的作品だと言えるかもしれません。これまで『バルトーク全集』は7巻が刊行されていますが、「子供のために」をはじめとして、ルーマニアの民俗音楽編曲作品、合唱曲集や「ミクロコスモス」など、教育用作品が高い比率を占めています。

■信頼できる新しい楽譜

『バルトーク全集』が計画された大きな理由の1つとして、作品の出版・流通に関する権利が複雑に絡み合っており、同じ作品でも異なる出版社から異なる版として出版され流通していたため、どの楽譜を使うべきか必ずしも明確ではなかったという事情があります。
版の問題に関しては、ウニヴァザール社、ブージー・アンド・ホークス社およびバルトーク・レコーズ社から出版されている、バルトークの2番目の息子のバルトーク・ペーテル

注:5

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による改訂版により、ある程度解消されていると言えます。ただし、これは必ずしも学術的な見地による改訂版とは言えないため、新しい版が必要とされていました。
このほか、初版が出版される際、記譜法が出版社のルールによって変更され、それが必ずしもバルトーク自身が意図していなかった形に変更されている場合もあります。また、自筆譜に誤りがある場合や、初版にミスプリントが紛れ込んでしまっている場合もあります。このような問題について、バルトーク全集ではあらゆる資料を綿密に検討することで、作曲家が意図していたであろう形に復元することを目指しています。

■演奏者のための『全集』

『バルトーク全集』には演奏家の方にとって役に立つさまざまな情報も収録されています。例えば、作品によっては、バルトークが改訂したテンポなどを演奏家に書き送っているものの、その改訂が楽譜に反映されていない場合もあります。こうした情報は音楽学の論文などで報告されていたりするものの、楽譜には示されていない以上、演奏家にはあまり知られていませんでした。オリジナルのテンポと改訂されたテンポ、どちらを選ぶかというのは難しい問題ですが、少なくとも演奏家にはこれらの情報を知った上で自分なりの決断を下す権利があるのではないでしょうか。また、異なるテンポを試すことで、演奏へのヒントを得られることもあるでしょう。
ほかにも、バルトークの楽譜を予備知識なしで見た方は、曲の最後に演奏時間

注:6

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が記されていることに驚くだろうと思いますが、これについても解説が割かれています。簡単に説明しますと、バルトークはあくまで目安として時間を示しているだけで、この通りに弾かなければならないという訳ではないのです。この時間は実際にピアノで演奏したときの演奏時間、もしくは頭の中で想像した演奏時間に基づいていると考えられています。
ちなみに、バルトーク自身、常に同じ時間で演奏していたわけではないということは録音からもわかっています。それなのに秒単位できっちり書いているのは、あくまで目安であるとしても、四捨五入して丸めてしまうよりは計った時間そのままを採用した方がよいと考えていたからのようです。このあたりから、正確さにこだわるバルトークの学者としての人柄

注:7

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が見えてきますね。

■新しい出発点としての『全集』

『バルトーク全集』はこのような情報を出来る限り集約して、「ひとまずこれを押さえておけば大丈夫」というような版を作ることを目的としています。もちろん、これまでに書かれたあらゆる情報を1冊や2冊の本に集約することはできませんし、これから先に新しい資料が発見されたり既存の資料に対する新しい解釈が打ち立てられたりすれば全集の内容も古くなってしまうでしょう。その意味では全集というのは100年後、200年後においても通用するような決定版ではありえません。それでも現時点でわかっている事を土台とし、その先に進むためには全集はなくてはならない出発点になるでしょう。

【ちょっと一息コラム ~中原さんにもっと聞いてみました!~】

バルトーク・アーカイヴのある「王宮の丘」

バルトーク・アーカイヴは独立した研究機関というわけではなく、音楽学研究所の一部署として、「王宮の丘」に位置しています。ブダペストという都市は、中心に流れているドナウ川で東西に分割されており、西がブダ、東がペストになるのですが、「王宮の丘」はブダ側に位置しており、ドナウ川を挟んでペスト側の街並みを一望することができます。
この「王宮の丘」には「ブダ城」「漁夫の砦」「マーチャーシュ教会」などの歴史的な観光名所が数多くありますので、旅行の際にはぜひ立ち寄ってもらいたいと思います。このほか、音楽家の方にとって隠れたスポットと言えるのは音楽学研究所に併設されている「音楽史博物館」でしょう。ここではハンガリーの音楽文化にちなんだ特別展示が行われていますので、また別の回にご紹介できればと思います。

音楽学研究所

ペスト側の展望

【第2回】は、バルトークの「ミクロコスモス」について、中原さんにお話いただきます!お楽しみに!

【第2回】 
教育用作品「ミクロコスモス」

■「ミクロコスモス」について

バルトークは1932年から1939年の間に153の小曲を作曲し、これらを「ミクロコスモス」と題した教育用ピアノ作品集としてまとめました。(初版は1940年、ロンドンのブージー・アンド・ホークス社により6分冊で出版。)
「ミクロコスモス」の153曲はどれもバルトーク自身のスタイルに基づいていますが、可能な限りさまざまな手法を用いて書かれており、バルトーク自身が語っているように、153曲それぞれは独立した小さい世界ーミクロコスモスーを体現していると言えるでしょう。また「ミクロコスモス」が書かれた1930年代というのはバルトークが作曲家としてもっとも脂がのっていた時期で、多彩な傑作注:41930年代の傑作群
1930年代に作曲された作品はほぼ全てが傑作と言ってよいが、バルトークの独自性がいかんなく発揮された曲を2曲選ぶならばパウル・ザッハーの委嘱による「弦打楽器およびチェレスタのための音楽」「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」になるだろう。
が生まれています。この時期に書かれた「ミクロコスモス」はこれらの傑作を聴くための入門にもなるでしょう。

■ピアノ教本を書くという長年の計画

バルトークはピアノ初級者のための教本を作ること注:5ピアノ教本
ブダペストの音楽出版社であるロージャヴェルジ社からの依頼により、バルトークとレショフスキ・シャーンドルの共著という形で1913年に出版された。レショフスキの後年の証言によると、メトロノーム記号付きの48の小曲はバルトークにより作曲されたものだという。このうちの18曲は1929年に「初級者のためのピアノ曲集」として出版された。
を長年計画しており、すでに1926年に「ミクロコスモス」の一部となる3曲を書きとめています。しかし、本格的に「ミクロコスモス」の作曲に着手したのは1932年になってからです。着想から着手までこれほどまでに時間が空いてしまったことにはいろいろな理由があるでしょう。1932年という年に「ミクロコスモス」に取り組む直接のきっかけとなったのは、ヴァイオリンのための教育用作品である「44の二重奏曲」(1931年)の作曲だと考えられます。この作品を作曲するうちに、より慣れ親しんだ楽器であるピアノのための教育的作品を書きたいという気持ちが高まっていったのではないでしょうか。

■普遍的な「教育用作品」

バルトークの曲を弾くときにハンガリーの要素を意識すべきかどうか注:6一種の「民俗音楽入門」としての教育用作品
一部のバルトークの民俗音楽編曲作品の巻頭には、オリジナルの民俗音楽の旋律が採集地と採集年とともに示されている。これには、当時広く知られていたわけではないオリジナルの旋律を広く大衆に知らせるという意図もあっただろう。この点では、広く知られている民謡の旋律を利用した民謡編曲作品とは趣が大きく異なる。ある意味では、バルトークの教育用作品を演奏する際に民俗音楽の知識が必要というよりは、バルトークの教育用作品は一種の「民俗音楽入門」と言えるかもしれない。
、というのは難しい問題です。プロの音楽家が演奏会で取り上げる際にはそうした要素を活かしたアプローチが望まれることもあると思いますし、その方が音楽的に面白くなる場合もあるでしょう。しかし「ミクロコスモス」や「子供のために」などの教育用作品の場合、レッスンで使う限りではとくにハンガリーの要素を意識する必要はないと思います。まず、バルトークは「ミクロコスモス」をイギリスのブージー・アンド・ホークス社から出版していることからもわかるように、この作品をハンガリーの子供たちだけのために書いたのではなく、世界のどこでも、誰でも使えるように書いています。
また注意が必要なのは、バルトークはハンガリーの民俗音楽のみならず、ほかにもルーマニアやスロヴァキアの民俗音楽の要素も使っていることです。もちろん、バルトークにとって最も身近だったのはハンガリーの民俗音楽でしたし、音階や旋律の構造など基本的な部分ではハンガリー由来の要素が強くみられます。しかし、バルトークとハンガリーの民俗音楽のみを強く結びつけすぎてしまうと、彼の特徴的な音楽語法の重要性がわかり辛くなってしまいます。例えば、バルトークの作品によく見られる頻繁な拍子の交替は、ルーマニアのクリスマスの歌(コリンダ)に由来すると考えられています。コリンダでは言葉のリズムに沿って音の長さが自由に伸び縮みし、結果として不規則な変拍子が生まれるのですが、こうしたリズムの変化はハンガリーの民俗音楽にはあまり見られません。

■日本で「ミクロコスモス」を使う目的

地理的にも時代的にもそして文化的にも遠く離れた21世紀の日本で「ミクロコスモス」を使うことの目的は、「民俗音楽を知る」ということよりも伝統的なクラシック音楽の語法の枠に収まらない音楽のあり方を学べることかもしれません。ハンガリーのピアノの早期教育の権威であるエクハルト・ガーボル氏は、ピアノ教育の導入期に「ミクロコスモス」を用いることのメリットについて、「『ミクロコスモス』で学んだ子どもは伸び方が違う」という同僚の声を紹介しています。「ミクロコスモス」に多くみられる不協和音の響き、リズム感、テンポの変化に早い時期から慣れ親しむことで、音楽表現の視界が広がり、感受性が育まれるようです。
もちろん、今ではバルトークの音楽は古典となりつつありますし、世の中にはバルトークが思いもしなかったような音楽語法というのも数多くあります。しかし、「ミクロコスモス」という1つの作品の中でさまざまな要素が学べること、さらにそうした要素がシンプルな形で示されている、というのは今においても「ミクロコスモス」の大きな魅力でしょう。

■副教材としての「ミクロコスモス」

バルトークは「ミクロコスモス」の序文で、4巻まで進んだ段階でバッハの「アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳」やチェルニーの練習曲など、他の作品の併用を勧めています。これはもちろん「ミクロコスモス」だけではピアノ学習者にとって必要な要素をすべてカバーできないからです。
この点を掘り下げてみると、逆に「ミクロコスモス」を副教材として使うということもできそうです。古典的なピアノ教本ではカバーできないような要素(長調・短調にとらわれない多種多様な旋法の使用、ビート感や変拍子など)への導入として「ミクロコスモス」からピックアップした曲を生徒に与える、という使い方も考えられるでしょう。

■他のバルトーク作品との組み合わせ

「ミクロコスモス」の5巻以降には、バルトークが自分の演奏会のために書いたような曲も多くなり、技術的にも音楽的にもどんどん難しくなりますので、ピアノ初心者が「ミクロコスモス」の6巻すべてを一気に勉強する、ということは想定されていなかったでしょう。最後の2巻は他の作品と並行しつつ、レパートリー集として取り入れるのがよいと思います。
バルトーク の作品でいえば、そのほとんどが教育用作品でもある、ピアノのための民俗音楽編曲作品(「子どものために」「ルーマニア民俗舞曲」「ソナチネ」「ルーマニアのクリスマスの歌」)などをお勧めします。これらの中には、「ミクロコスモス」にはあまり見られないような、伝統的な伴奏+旋律の形で書かれているものも多くありますので、「ミクロコスモス」に不足している部分を補ってくれるでしょう。

【ちょっと一息コラム ~中原さんにもっと聞いてみました!~】

バルトークの生まれたハンガリー

バルトークは1881年、ハンガリー王国のナジセントミクローシュ(現ルーマニア領のスンニコラウ・マレ)に生まれました。ハンガリー王国は現在よりも広い領土を有する多民族国家で、ハンガリー人の他に多数のルーマニア人、スロヴァキア人、ドイツ人などが住んでいました。バルトークは成人するまでの大半の時期をこのハンガリー王国内の各都市、(現在の表記で言うと)ヴィノフラジウ、オラデア、ビストリツァ、ブラチスラヴァで過ごしています。ちなみに、バルトークは主にこのハンガリー王国内の各地で民俗音楽を採集し、そのうちの一部を用いて多種多様な編曲作品を書いています。採集活動を通じてさまざまな民族に伝わる音楽文化の多様性に直に触れられたことは、バルトークの作曲家としての方向性に決定的な影響を与えたことでしょう。こうした背景知識があると、バルトークの作品の見方が変わってくるのではないでしょうか。

バルトーク幼年期の写真(E. Grosz撮影、ナジセントミクローシュにて ハンガリー科学アカデミー バルトーク・アーカイヴ蔵)

バルトークの民俗音楽編曲作品の(推定された)原曲がどこに由来するのか示した図(ランペルト・ヴェラ編「バルトークの作品における民俗音楽: 源泉のカタログ」より)

■「ミクロコスモス」について

バルトークは1932年から1939年の間に153の小曲を作曲し、これらを「ミクロコスモス」と題した教育用ピアノ作品集としてまとめました。(初版は1940年、ロンドンのブージー・アンド・ホークス社により6分冊で出版。)
「ミクロコスモス」の153曲はどれもバルトーク自身のスタイルに基づいていますが、可能な限りさまざまな手法を用いて書かれており、バルトーク自身が語っているように、153曲それぞれは独立した小さい世界ーミクロコスモスーを体現していると言えるでしょう。また「ミクロコスモス」が書かれた1930年代というのはバルトークが作曲家としてもっとも脂がのっていた時期で、多彩な傑作

注:4

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が生まれています。この時期に書かれた「ミクロコスモス」はこれらの傑作を聴くための入門にもなるでしょう。

■ピアノ教本を書くという長年の計画

バルトークはピアノ初級者のための教本を作ること

注:5

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を長年計画しており、すでに1926年に「ミクロコスモス」の一部となる3曲を書きとめています。しかし、本格的に「ミクロコスモス」の作曲に着手したのは1932年になってからです。着想から着手までこれほどまでに時間が空いてしまったことにはいろいろな理由があるでしょう。1932年という年に「ミクロコスモス」に取り組む直接のきっかけとなったのは、ヴァイオリンのための教育用作品である「44の二重奏曲」(1931年)の作曲だと考えられます。この作品を作曲するうちに、より慣れ親しんだ楽器であるピアノのための教育的作品を書きたいという気持ちが高まっていったのではないでしょうか。

■普遍的な「教育用作品」

バルトークの曲を弾くときにハンガリーの要素を意識すべきかどうか

注:6

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、というのは難しい問題です。プロの音楽家が演奏会で取り上げる際にはそうした要素を活かしたアプローチが望まれることもあると思いますし、その方が音楽的に面白くなる場合もあるでしょう。しかし「ミクロコスモス」や「子供のために」などの教育用作品の場合、レッスンで使う限りではとくにハンガリーの要素を意識する必要はないと思います。まず、バルトークは「ミクロコスモス」をイギリスのブージー・アンド・ホークス社から出版していることからもわかるように、この作品をハンガリーの子供たちだけのために書いたのではなく、世界のどこでも、誰でも使えるように書いています。
また注意が必要なのは、バルトークはハンガリーの民俗音楽のみならず、ほかにもルーマニアやスロヴァキアの民俗音楽の要素も使っていることです。もちろん、バルトークにとって最も身近だったのはハンガリーの民俗音楽でしたし、音階や旋律の構造など基本的な部分ではハンガリー由来の要素が強くみられます。しかし、バルトークとハンガリーの民俗音楽のみを強く結びつけすぎてしまうと、彼の特徴的な音楽語法の重要性がわかり辛くなってしまいます。例えば、バルトークの作品によく見られる頻繁な拍子の交替は、ルーマニアのクリスマスの歌(コリンダ)に由来すると考えられています。コリンダでは言葉のリズムに沿って音の長さが自由に伸び縮みし、結果として不規則な変拍子が生まれるのですが、こうしたリズムの変化はハンガリーの民俗音楽にはあまり見られません。

■日本で「ミクロコスモス」を使う目的

地理的にも時代的にもそして文化的にも遠く離れた21世紀の日本で「ミクロコスモス」を使うことの目的は、「民俗音楽を知る」ということよりも伝統的なクラシック音楽の語法の枠に収まらない音楽のあり方を学べることかもしれません。ハンガリーのピアノの早期教育の権威であるエクハルト・ガーボル氏は、ピアノ教育の導入期に「ミクロコスモス」を用いることのメリットについて、「『ミクロコスモス』で学んだ子どもは伸び方が違う」という同僚の声を紹介しています。「ミクロコスモス」に多くみられる不協和音の響き、リズム感、テンポの変化に早い時期から慣れ親しむことで、音楽表現の視界が広がり、感受性が育まれるようです。
もちろん、今ではバルトークの音楽は古典となりつつありますし、世の中にはバルトークが思いもしなかったような音楽語法というのも数多くあります。しかし、「ミクロコスモス」という1つの作品の中でさまざまな要素が学べること、さらにそうした要素がシンプルな形で示されている、というのは今においても「ミクロコスモス」の大きな魅力でしょう。

■副教材としての「ミクロコスモス」

バルトークは「ミクロコスモス」の序文で、4巻まで進んだ段階でバッハの「アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳」やチェルニーの練習曲など、他の作品の併用を勧めています。これはもちろん「ミクロコスモス」だけではピアノ学習者にとって必要な要素をすべてカバーできないからです。
この点を掘り下げてみると、逆に「ミクロコスモス」を副教材として使うということもできそうです。古典的なピアノ教本ではカバーできないような要素(長調・短調にとらわれない多種多様な旋法の使用、ビート感や変拍子など)への導入として「ミクロコスモス」からピックアップした曲を生徒に与える、という使い方も考えられるでしょう。

■他のバルトーク作品との組み合わせ

「ミクロコスモス」の5巻以降には、バルトークが自分の演奏会のために書いたような曲も多くなり、技術的にも音楽的にもどんどん難しくなりますので、ピアノ初心者が「ミクロコスモス」の6巻すべてを一気に勉強する、ということは想定されていなかったでしょう。最後の2巻は他の作品と並行しつつ、レパートリー集として取り入れるのがよいと思います。
バルトーク の作品でいえば、そのほとんどが教育用作品でもある、ピアノのための民俗音楽編曲作品(「子どものために」「ルーマニア民俗舞曲」「ソナチネ」「ルーマニアのクリスマスの歌」)などをお勧めします。これらの中には、「ミクロコスモス」にはあまり見られないような、伝統的な伴奏+旋律の形で書かれているものも多くありますので、「ミクロコスモス」に不足している部分を補ってくれるでしょう。

【ちょっと一息コラム ~中原さんにもっと聞いてみました!~】

バルトークの生まれたハンガリー

バルトークは1881年、ハンガリー王国のナジセントミクローシュ(現ルーマニア領のスンニコラウ・マレ)に生まれました。ハンガリー王国は現在よりも広い領土を有する多民族国家で、ハンガリー人の他に多数のルーマニア人、スロヴァキア人、ドイツ人などが住んでいました。バルトークは成人するまでの大半の時期をこのハンガリー王国内の各都市、(現在の表記で言うと)ヴィノフラジウ、オラデア、ビストリツァ、ブラチスラヴァで過ごしています。ちなみに、バルトークは主にこのハンガリー王国内の各地で民俗音楽を採集し、そのうちの一部を用いて多種多様な編曲作品を書いています。採集活動を通じてさまざまな民族に伝わる音楽文化の多様性に直に触れられたことは、バルトークの作曲家としての方向性に決定的な影響を与えたことでしょう。こうした背景知識があると、バルトークの作品の見方が変わってくるのではないでしょうか。

バルトーク幼年期の写真(E. Grosz撮影、ナジセントミクローシュにて ハンガリー科学アカデミー バルトーク・アーカイヴ蔵)

バルトークの民俗音楽編曲作品の(推定された)原曲がどこに由来するのか示した図(ランペルト・ヴェラ編「バルトークの作品における民俗音楽: 源泉のカタログ」より)

【第3回】は、「全集版」と「原典版」について、中原さんにお話いただきます!お楽しみに!

【第3回】
「全集版」について

■「バルトーク全集」とは

「バルトーク全集」というのはバルトークの音楽作品の全てを出版する、いわゆる「作曲家全集」の1つで、全48巻での刊行を予定しています。このような作曲家全集には楽譜本文だけでなく、作品の成立過程や演奏史、受容史などをまとめた「序文」や現存する資料について詳述された「注解」、楽譜本文と資料間の異同が記された「校訂報告」などが含まれており、現時点での研究の集大成と言えます。また、これは作品をもっと深く研究したい方のための第1歩にもなるでしょう。

■演奏家への手引き

このバルトーク全集の特色の1つとして、演奏家に対する配慮があげられます。全集には「記譜法と演奏実践」という章があり、演奏の際に知っておくべき事が説明されています。これはバルトーク・アーカイヴの前所長、ショムファイ・ラースロー博士注:4ショムファイ・ラースロー博士
1934年生まれ。世界的に有名なハンガリーの音楽学者で、バルトーク研究の第一人者。ハンガリー科学アカデミー正会員(2004年より)。バルトーク・アーカイヴの前所長(1972–2004年)であり、「バルトーク全集」は彼の発案によるものである。ヨーゼフ・ハイドンおよびバルトークの研究において、自筆譜研究や演奏研究など幅広い研究分野で多大な貢献を果たしている。主な著書は「ヨーゼフ・ハイドンの鍵盤ソナタ」「バルトーク・ベーラ: 作曲、コンセプトと自筆資料」(いずれも日本語未訳)。また、コチシュ・ゾルターンらと共にバルトーク自演の歴史的音源を全集として世に送り出したことでも知られる。
https://zti.hu/index.php/en/ba/staff/70-somfai-laszlo
のたっての望みによるものです。なぜなら、楽譜は演奏されるものである以上、記譜法ならびに演奏に関する解説は演奏家にとって必要不可欠だからです。
バルトークは20世紀の作曲家ですから、記譜習慣などは私たちが日頃慣れ親しんでいるものと基本的には変わりありません。しかしバルトーク本人による録音や、バルトークが演奏家に直接告げたり、書簡で書き送った指示、また他の作品の序文などに記している解説には、バルトークの「真の意図」を知るために欠かせない情報が含まれています。注:5バルトークのテヌート
バルトークが一般的な音楽記号をどのように理解していたかは、彼の校訂による、いわゆるバルトーク校訂版 に付された解説から辿ることができる(画像は「アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳」より)。この中では、テヌート記号( - )はレガートのフレーズで使われる場合には音色の変化による柔らかいアクセントを示すと説明されている。

バルトーク校訂「J.S.バッハによる初級ピアニストのための小品(アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳より)」ロージャヴェルジ社(PN3681)、1924年出版。
こうした情報を手掛かりとして、彼の楽譜をより深く読み解くことができるようになるでしょう。 (録音については別の回で触れたいと思います。)

■「全集版」の特色

21世紀のいま、バルトーク作品の新しい楽譜を作ろうとした場合、さまざまなアプローチが考えられます。現在では入手が困難な初版をそのままリプリントした「復刻版」、資料を元に楽譜の明らかな誤りを訂正した「改訂版」、また名演奏家による運指や表現記号、解説を付加した「解釈版」などが考えられるでしょう。私たちの「全集版」の第一の目的は作曲家本人に由来する資料を元に、作曲家が意図したであろう「信頼できる楽譜」を確立することですが、この目的を達成するためにありとあらゆる資料を綿密に検討します。通常、誤りの訂正に用いられるのは彫版用自筆譜などの限られた資料のみですが、「全集版」ではスケッチや草稿といった作曲する際に使われた資料をも綿密に検討します。時には、1つ1つの資料の成立過程を追い、「彫版用自筆譜」や「草稿」といった資料の分類が正しいかどうかさえも検討し、作品の成立過程をできる限り解き明かそうとします。これは「全集版」のような大規模なプロジェクトでしかできないことです。
こうした地道な作業の成果のすべてが出版される楽譜本文に反映できるかと言うと必ずしもそうではありません。しかし、さまざまな資料がどのように関係しているのかを丁寧に解きほぐすことによってはじめて見えてくるものもあります。
「ミクロコスモス」の例では、オクターヴの使用があげられます。バルトークは元々オクターヴを使わずに曲を書いていたのですが、あることをきっかけにオクターヴの使用を解禁し、それまでオクターヴを使わずに書いた曲のいくつかにオクターヴの音を付け足しています。注:6オクターヴの追加
「ミクロコスモス」のいくつかの曲にはオクターヴのない初期ヴァージョンとオクターヴが追加された最終ヴァージョンがある。このうち、147番「行進曲」と153番「ブルガリアのリズムによる舞曲第6曲」の初期ヴァージョンは巻末附録として原典版の「ミクロコスモス」に収録されている。
このような最新の研究成果は序文や校訂報告に盛り込まれています。

■資料研究のプロセスとその成果

バルトークの作品に関連する資料の大半はバーゼルのパウル・ザッハー財団に所蔵 注:7資料の所在地
バルトークに関係する資料の保存状況は極めて良く、1次資料のほとんどはヨーロッパの2か所、バーゼルのパウル・ザッハー財団およびブダペストのバルトーク・アーカイヴに所蔵されている。パウル・ザッハー財団には故バルトーク・ペーテルが所有していた資料(つまりバルトークによりアメリカに移され、後にペーテルが相続した資料)のほとんどが寄託されており、バルトーク・アーカイヴには、バルトークがアメリカに移住する際にハンガリーに残していった資料や、バルトークの妻であったパーストリ・ディッタの遺品などが所蔵されている。バルトーク・アーカイヴに所蔵されている作品関連のオリジナルの資料の数はバーゼルのものと比べると極めて少ない。しかし、バルトーク・ペーテルが所蔵する資料のほとんど全てから高精度の原寸大のカラーコピーを作成し、2000年代初頭にバルトーク・アーカイヴに提供したため、ブダペストでもバーゼルの資料を研究調査することができる。
されていますが、それらのほとんどからは高精度のカラーコピーが作成されており、ブダペストのバルトーク・アーカイヴでも閲覧することができます。
私は「ミクロコスモス」の校訂を担当したのですが、この「ミクロコスモス」の場合、まずバルトーク・アーカイヴで利用可能なコピーをもとに、じっくり時間をかけて調べられることを調べ尽くし、その上で、パウル・ザッハー財団で自筆資料の原本を綿密に検討しました。注:8自筆譜研究の意義
バルトークの自筆譜の内容はほとんどの場合出版された楽譜と実質的に同じであるため、自筆譜を研究する目的は「推敲のプロセス」を解き明かすことにあると言える。バルトーク作品には「黄金分割」が見られるという説を提唱したハンガリーの音楽理論家、レンドヴァイ・エルネー(『バルトークの作曲技法』(全音楽譜出版社刊)著者)の影響で、バルトークは細部まで緻密に計算して曲を書いたという風に捉える傾向が一部にあるが、「推敲のプロセス」からは、バルトークはそういった緻密性を必ずしも重視していなかったことが読み取れる。
なぜなら、自筆譜の紙片構造や、使われている筆記用具の種類、インクや紙の色合いなど、実物を調査しないとわからないことがあるからです。特に重要なのは紙片構造の復元で、自筆草稿がどのように使われどのように保管されていたのかを突き止めることで、「ミクロコスモス」の小曲がどのようにどんな順番で作曲されたのかを解明することができます。
面白い例を紹介しましょう。自筆草稿の1ページを見ると、20番「ユニゾンの旋律」と30番「下5度のカノン」が上下並べて書かれています。 注:9自筆草稿内のミクロコスモス20番と30番
自筆草稿の1ページから作成された翻写(抜粋) 。20番は最終ヴァージョンと比べると完全4度高く書かれている。
これら2曲の冒頭の音型(20番の「C—D—G」と30番の「C—D—F」)はよく似ていますよね。おそらく20番の音型をもとに別の新しい曲、30番が導き出されたのでしょう。「ミクロコスモス」ではこのように1つの曲から別の曲が生まれてくる、という関係をたびたび見出すことができます。注:10「ひらめきの連鎖」
「ミクロコスモス」の中には1つの曲で使われた音楽的アイデアを新しい曲で次々と発展させたという例もあり、例えば続けて作曲された一連の数曲(122番「同時にまたは交互に奏される和音」、144番「短2度と長7度」、140番「自由な変奏曲」、141番「鏡像」)では、右手と左手の対称的な動きというアイデアを中核としつつも全く異なる性格の曲が書かれていることが見て取れる。
これはほんの一例なのですが、このような曲同士の関係を知ることはコンサートや発表会で「ミクロコスモス」を演奏する際の曲順を考えるための手掛かりになるかもしれません。また、作曲に興味のある生徒さんにとっては、バルトークの作曲技法を研究する際のヒントとなることでしょう。

【ちょっと一息コラム ~中原さんにもっと聞いてみました!~】

カエル

バルトークの息子、ペーテルによる回想録「父・バルトーク」には、バルトークの持つ鋭い聴覚についてのエピソードがいくつか綴られています。その鋭い耳が最もよく活かされたのは民俗音楽を五線紙に手早く書きとめる時だったでしょう。私たちが気にも留めないような旋律のわずかな「ゆらぎ」も、バルトークの自筆譜にはあまさず記録されています。
さて、バルトークの耳は音楽だけでなく、さまざまな自然の音にも向けられていたことはご存じでしょうか。「ピアノ協奏曲第3番」の第2楽章に鳥の歌が使われているのは有名ですが、その他にも自然の音が使われている曲があります。ピアノ曲集「野外にて」の第4曲「夜の音楽」にはさまざまな夜行性の生物が隠れており、その中にはカエルもいます。ただし、この曲の中のカエルはハンガリーのカエルで、日本のカエルとは違った鳴き方をします。
私たちがカエルの鳴き声として想像するのは「ゲロゲロ」や「グァッ、グァッ」といったものですが、ハンガリーでは鈴のような音や笑い声のような音を出すカエルがいます。YouTubeにアップロードされている動画をご紹介しますので、ぜひ一度聞いてみてください。人の目に留まらないものの美しさを見出し、そこから芸術作品を創り上げるというのは、バルトークに特徴的な創作姿勢のひとつと言えるかもしれません。

◇ヨーロッパスズガエルの鳴き声

◇ワライガエルの鳴き声

■「バルトーク全集」とは

「バルトーク全集」というのはバルトークの音楽作品の全てを出版する、いわゆる「作曲家全集」の1つで、全48巻での刊行を予定しています。このような作曲家全集には楽譜本文だけでなく、作品の成立過程や演奏史、受容史などをまとめた「序文」や現存する資料について詳述された「注解」、楽譜本文と資料間の異同が記された「校訂報告」などが含まれており、現時点での研究の集大成と言えます。また、これは作品をもっと深く研究したい方のための第1歩にもなるでしょう。

■演奏家への手引き

このバルトーク全集の特色の1つとして、演奏家に対する配慮があげられます。全集には「記譜法と演奏実践」という章があり、演奏の際に知っておくべき事が説明されています。これはバルトーク・アーカイヴの前所長、ショムファイ・ラースロー博士

注:4

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のたっての望みによるものです。なぜなら、楽譜は演奏されるものである以上、記譜法ならびに演奏に関する解説は演奏家にとって必要不可欠だからです。
バルトークは20世紀の作曲家ですから、記譜習慣などは私たちが日頃慣れ親しんでいるものと基本的には変わりありません。しかしバルトーク本人による録音や、バルトークが演奏家に直接告げたり、書簡で書き送った指示、また他の作品の序文などに記している解説には、バルトークの「真の意図」を知るために欠かせない情報が含まれています。

注:5

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こうした情報を手掛かりとして、彼の楽譜をより深く読み解くことができるようになるでしょう。 (録音については別の回で触れたいと思います。)

■「全集版」の特色

21世紀のいま、バルトーク作品の新しい楽譜を作ろうとした場合、さまざまなアプローチが考えられます。現在では入手が困難な初版をそのままリプリントした「復刻版」、資料を元に楽譜の明らかな誤りを訂正した「改訂版」、また名演奏家による運指や表現記号、解説を付加した「解釈版」などが考えられるでしょう。私たちの「全集版」の第一の目的は作曲家本人に由来する資料を元に、作曲家が意図したであろう「信頼できる楽譜」を確立することですが、この目的を達成するためにありとあらゆる資料を綿密に検討します。通常、誤りの訂正に用いられるのは彫版用自筆譜などの限られた資料のみですが、「全集版」ではスケッチや草稿といった作曲する際に使われた資料をも綿密に検討します。時には、1つ1つの資料の成立過程を追い、「彫版用自筆譜」や「草稿」といった資料の分類が正しいかどうかさえも検討し、作品の成立過程をできる限り解き明かそうとします。これは「全集版」のような大規模なプロジェクトでしかできないことです。
こうした地道な作業の成果のすべてが出版される楽譜本文に反映できるかと言うと必ずしもそうではありません。しかし、さまざまな資料がどのように関係しているのかを丁寧に解きほぐすことによってはじめて見えてくるものもあります。
「ミクロコスモス」の例では、オクターヴの使用があげられます。バルトークは元々オクターヴを使わずに曲を書いていたのですが、あることをきっかけにオクターヴの使用を解禁し、それまでオクターヴを使わずに書いた曲のいくつかにオクターヴの音を付け足しています。

注:6

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このような最新の研究成果は序文や校訂報告に盛り込まれています。

■資料研究のプロセスとその成果

バルトークの作品に関連する資料の大半はバーゼルのパウル・ザッハー財団に所蔵

注:7

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されていますが、それらのほとんどからは高精度のカラーコピーが作成されており、ブダペストのバルトーク・アーカイヴでも閲覧することができます。
私は「ミクロコスモス」の校訂を担当したのですが、この「ミクロコスモス」の場合、まずバルトーク・アーカイヴで利用可能なコピーをもとに、じっくり時間をかけて調べられることを調べ尽くし、その上で、パウル・ザッハー財団で自筆資料の原本を綿密に検討しました。

注:8

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なぜなら、自筆譜の紙片構造や、使われている筆記用具の種類、インクや紙の色合いなど、実物を調査しないとわからないことがあるからです。特に重要なのは紙片構造の復元で、自筆草稿がどのように使われどのように保管されていたのかを突き止めることで、「ミクロコスモス」の小曲がどのようにどんな順番で作曲されたのかを解明することができます。
面白い例を紹介しましょう。自筆草稿の1ページを見ると、20番「ユニゾンの旋律」と30番「下5度のカノン」が上下並べて書かれています。

注:9

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これら2曲の冒頭の音型(20番の「C—D—G」と30番の「C—D—F」)はよく似ていますよね。おそらく20番の音型をもとに別の新しい曲、30番が導き出されたのでしょう。「ミクロコスモス」ではこのように1つの曲から別の曲が生まれてくる、という関係をたびたび見出すことができます。

注:10

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これはほんの一例なのですが、このような曲同士の関係を知ることはコンサートや発表会で「ミクロコスモス」を演奏する際の曲順を考えるための手掛かりになるかもしれません。また、作曲に興味のある生徒さんにとっては、バルトークの作曲技法を研究する際のヒントとなることでしょう。

【ちょっと一息コラム ~中原さんにもっと聞いてみました!~】

カエル

バルトークの息子、ペーテルによる回想録「父・バルトーク」には、バルトークの持つ鋭い聴覚についてのエピソードがいくつか綴られています。その鋭い耳が最もよく活かされたのは民俗音楽を五線紙に手早く書きとめる時だったでしょう。私たちが気にも留めないような旋律のわずかな「ゆらぎ」も、バルトークの自筆譜にはあまさず記録されています。
さて、バルトークの耳は音楽だけでなく、さまざまな自然の音にも向けられていたことはご存じでしょうか。「ピアノ協奏曲第3番」の第2楽章に鳥の歌が使われているのは有名ですが、その他にも自然の音が使われている曲があります。ピアノ曲集「野外にて」の第4曲「夜の音楽」にはさまざまな夜行性の生物が隠れており、その中にはカエルもいます。ただし、この曲の中のカエルはハンガリーのカエルで、日本のカエルとは違った鳴き方をします。
私たちがカエルの鳴き声として想像するのは「ゲロゲロ」や「グァッ、グァッ」といったものですが、ハンガリーでは鈴のような音や笑い声のような音を出すカエルがいます。YouTubeにアップロードされている動画をご紹介しますので、ぜひ一度聞いてみてください。人の目に留まらないものの美しさを見出し、そこから芸術作品を創り上げるというのは、バルトークに特徴的な創作姿勢のひとつと言えるかもしれません。

◇ヨーロッパスズガエルの鳴き声

◇ワライガエルの鳴き声

次回予告:
【第4回】は、「作曲家・バルトーク」についてお話します!お楽しみに!

●著者紹介
中原佑介 (なかはら・ゆうすけ 音楽学研究所バルトーク・アーカイヴ、リサーチ・フェロー)
2007年よりハンガリー国立リスト・フェレンツ音楽芸術大学で音楽学を学ぶ。2012年から2015年において、同大学博士課程をハンガリー政府奨学金給付生として修了。2021年に博士号(PhD)を最高位の評価(summa cum laude)で取得。2015年よりバルトーク・アーカイヴにて『バルトーク・ベーラ批判校訂全集』の編集作業に携わる。これまで、全集の第40-41巻にあたる「ミクロコスモス」の校訂を担当したほか、第30巻「弦楽四重奏曲集」の編集協力者として自筆譜の分析および翻写(diplomatic transcription)を担当。

『バルトーク全集版』ご紹介

バルトーク全集
(布装)

原典版
(紙装、ヘンレ社版)

原典版
(紙装、ムジカ・ブダペスト社版)

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