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フレデリック・フランソワ・ショパン
Frederic Francois Chopin

フレデリック・フランソワ・ショパン

1810~1849 ポーランド人 フランスに没す ロマン期 作曲家 ピアニスト

ショパンはロマン期のピアノ音楽に新しい境地(ノクターン、プレリュード、ワルツ、マズルカ、ポロネーズ、バラード、アンプロンプチュ、ファンタジー、etc.)を開いたポーランドの作曲家/ピアニストである。ショパンはワルシャワ近郊に、フランス人を父に、ポーランド人を母に生まれた。4歳からピアノを始め、7歳で「ポロネーズ (第11番)ト短調」を作曲し、8歳のとき公の演奏会でギロヴェツの「ピアノ協奏曲」を弾いて聴衆からモーツァルトの再来と騒がれ、11歳のときにワルシャワを訪れていたロシア皇帝アレキサンドル一世に御前演奏をした。1822年に12歳でワルシャワ音楽院長のエルスナーについて作曲を学んだショパンは、その後、作曲にはげみ、25年には「ロンド Op.1」が出版され、作曲家/ピアニストとしての成功を収める。彼の作品は、室内楽、ピアノ協奏曲、歌曲を除いては、殆どがピアノ・ソロである。ショパンは29年に一度ウィーンに演奏旅行をしたが、30年にワルシャワでポーランドの独立運動が起きると、その秋にワルシャワを去り、再びウィーンを訪れ、シュトゥットガルトを経て、31年にパリに到着した。彼の「エチュード"革命"」(32年)はシュトゥットガルトでワルシャワがロシア軍に鎮圧されたことを耳にしたショパンが憤りを込めて書いた作品だといわれている。パリにおけるショパンは演奏活動と作曲にはげむ一方、多くの貴族の子女たちにピアノを教えて余裕のある生活をした。またショパンはリストシューマン、ベルリオーズ、ユーゴー、ハイネ、ドラクロワら新ロマン派の芸術家たちと親交を結んだが、36年にリストの紹介で出会った"男装の麗人"として有名な女性作家ジョルジュ・サンドと恋愛関係に陥る。そして、すでに結核に冒されていたショパンは療養をかねてサンドと38~9年をスペインのマジョルカ島で過ごし、その後は彼女のノアンの田舎の家とパリを行き来したが、結局、結核が進行し、49年に39歳の短い生涯を閉じた。彼の作風はポロネーズ、マズルカなどポーランド的な要素とパリの華麗で洗練された要素が特徴で、作品のすべてが傑作であることは言うまでもない。


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# 曲名 レベル 試聴
1 3つのエコセーズ Op.post.72 [3] 中級2
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2 アレグロ・モデラート 中級1
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3 ドイツ民謡「スイスの少年」の主題によるヴァリエーション ホ長調 中級2
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4 アンプロンプチュ [4] 上級2
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5 ポロネーズ [16] 上級2
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6 ワルツ [17] 上級2
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7 ノクターン [19] 上級2
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8 マズルカ [58] 上級1
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9 24のプレリュード Op.28 [24] 上級2
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10 子守歌 変ニ長調 Op.57 上級2
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11 12の練習曲 Op.10 [12] 上級2
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12 12の練習曲 Op.25 [12] 上級2
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13 バラード [4] 上級2
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14 スケルツォ [4] 上級2
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15 ファンタジー ヘ短調 Op.49 上級2
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16 舟歌 嬰ヘ長調 Op.60 上級2
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17 ソナタ 第2番 変ロ短調 Op.35 [4] 上級2
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18 ソナタ 第3番 ロ短調 Op.58 [4] 上級2
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