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(ヤーコブ・ルードヴィッヒ)フェリックス・メンデルスゾーン(=バルトルディ)
(Jakob Ludwig)Felix Mendelssohn (-Bartholdy)

1809~1847 ドイツ人 ロマン期 作曲家 ピアニスト 指揮者

メンデルスゾーンはハンブルクの裕福な銀行家の家庭に生まれ、母からピアノの手ほどきを受け、幼い頃から広い分野にわたる高度な教育を受けた。先祖はユダヤ系であったが父の代に一家はプロテスタントに改宗する。1811年にハンブルクがフランス軍に侵略されると一家はベルリンに移住し、メンデルスゾーンはベルリンでピアノをL.ベルガーに、作曲をツェルターに師事し、21年からはピアニストとして演奏する機会に恵まれるようになった。同年、12歳のメンデルスゾーンはヴァイマールにゲーテを訪ね、バッハモーツァルトの作品を演奏し、ゲーテに気に入られ、以来、年老いた詩人ゲーテと若いメンデルスゾーンの間には特別な友情が育つ。その頃から、裕福なメンデルスゾーン家では毎日曜日に大きな演奏会が開かれるようになり、哲学者ヘーゲル、ピアニストのモシュレス他、大勢の著名人が集まり、メンデルスゾーンの作品もそこで演奏されるようになった。29年にはベルリンでバッハの没後初めての「マタイ受難曲」をメンデルスゾーンは自らの指揮で演奏し、ヨーロッパの音楽界にバッハ復活のきっかけを作った。その年の5月にはモシェレスの勧めでロンドンを訪れ、自作の「交響曲 第1番」を指揮して大好評を得た。その後、32年にかけてメンデルスゾーンはイギリス、スコットランド、ドイツ各地、オーストリア、イタリア、フランスで活躍し、リスト、ベルリオーズ、J.フィールドらと知己になる。35年からはライプチッヒを拠点として作曲家、指揮者、教育家として活躍し、43年にはライプチッヒ音楽学校を設立した。作品はあらゆる分野にわたっており、中でも有名なのは17歳で作曲した序曲「真夏の夜の夢」(26年)、「イタリア交響曲」(33年)、「ヴァイオリン協奏曲」(44年)、2曲の「ピアノ協奏曲」(31年、37年)、オラトリオ「エライジャ」(46年)などである。作風は情緒豊かな旋律が、古典派的な形式と多声部音楽をまじえた伴奏の上に美しく響くのが特徴である。ピアノの生徒にとって性格作品「無言歌集」は貴重な教材であろう。


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# 曲名 レベル 試聴
1 無言歌集 [48] 中級2
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2 スケルツォ ホ長調 Op.16 No.2 上級1
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3 6つの子どもの小品「クリスマス曲集」 Op.72 [6] 中級2
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4 ロンドカプリチオーソ ホ長調 Op.14 上級2
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